私たちは、仕事や人間関係など、日々ストレスにさらされています。特に現代のような情報化社会においては、以前に比べより大きなストレスがかかっていると言われます。このような環境の中で、悩み事がない人はいないでしょう。皆、日々心の中で現実との折り合いをつけるために苦労しているのではないでしょうか。
一般に、とても大きなストレス、例えば最愛の人を亡くすなどにより激しく落ち込んだり、動揺や不安で混乱したりしていても、通常は数週間で普通の日常生活を送れるようになります。さらに数か月、数年で状況を受け止めて消化し、気持ちを整理することができます。もちろん、不安を感じ、再び絶望感が襲ってくることもあります。しかし、そういった気持ちとうまく付き合っていくことができるようになります。このように、困難な状況に陥っても、人間は気持ちを整理することができるわけです。
障害を持っている場合は心と体のバランスが崩れやすいので、ストレスを感じやすく、不安や怒りといった激しい精神的変化を生じやすいと言われます。しかし、障害を持っていても、気持ちを整理しコントロールしていくことができます。なぜなら、気持ちを整理することは人間が生まれながらに持っている能力だからです。そして、このような潜在的な心理回復能力をより発揮しやすくするために、治療としての支援(認知行動療法)が活用されています。
認知行動療法とは、ものの考え方や受け取り方(認知)に対して、また、何らかの行動に対して働きかけることで、気持ちを楽にしたり、ストレスを軽減させる治療方法です。
認知療法、行動療法という治療法がありますが、それぞれ別々に発展し、互いに重なる領域が増えてきました。そのため1990年代に欧米でこれらの治療法を総称して認知行動療法と呼ばれるようになりました。
この療法における「認知」とは、思考や考え方をいいます。誰しも困難な状態で辛い気持ちの時にはマイナス思考を持ってしまいがちです。そのようなマイナス思考を少しずつほぐしていくことが、認知療法です。
また、この療法における「行動」とは、実際にやってみること、試してみることをいいます。何か困難に直面した時や気分が落ち込んでいる時に、何をどうしたらよいかわからず混乱してしまうことがあると思います。本人にとってやりやすいことから、できる範囲で実行していくことが、行動療法です。
認知行動療法は、うつ病、パニック症(パニック障害)、強迫症(強迫性障害)、不眠症、薬物依存症、摂食障害、統合失調症などに使われており、訓練された治療者の元でしっかり取り組めば、投薬治療に引けを取らない治療効果を有するとされています。薬と作用の仕方が異なるため、投薬治療と組み合わせることで治療成功率を高めることも可能になるといわれます。
主に「認知」は外界からのインプットになります。「何が起こった」とか、「あれは嫌な事だ」とか、自分の外側で起こっている出来事を読み取るのが認知です。しかしながら、起こった出来事と自分の考えが混同してしまい、事実と考えの区別がつかなくなるケースがあります。また、全ての出来事のうち「嫌な出来事」だけ抽出する場合があります。このようなケースでは、心の整理をするために認知を修正することが必要です。
これに対し、「行動」は外界へのアウトプットになります。コミュニケーションにおいてふさわしくない発言や行動をすることで相手から予想と違う返事が帰ってきて、余計に混乱してしまう場合があります。このようなケースでは、行動を修正することで混乱せずに済むようになります。
さらに、認知を変えることで行動が変化することが分かっており、また、行動が変わることで認知も変化することが分かっています。
認知行動療法を理解するため、簡単な例を見ていきましょう。
この例では、認知と行動、感情、身体の反応を表しています。これらは連動して作用しているのが分かります。したがって、連動する作用の川上を少し変化させれば川下も変化するはずです。
そこで、次のように変えてみてはどうでしょうか。
Aさんは「自分は本当に駄目な人間だ」と考え(認知)
→Aさんは「人間はミスがつきもの。大事なのは同じミスをしないことだ」と考え(認知の修正)
Aさんはミスを上司に報告し、謝罪しました(行動)
→Aさんはミスを上司に報告し、謝罪するとともに、再発防止策を提言しました(行動の修正)
「上司にダメな部下だと判断されてしまった」とAさんは思いました(認知)
→「上司が注意してくれているのだから、自分にもまだ見込みがあると思ってくれている」とAさんは思いました(認知の修正)
Aさんは、上司に「ミスをするので大きな仕事は任せない」と言われることを想像し(認知)
→Aさんは、上司の信頼を回復することで、大きな仕事を任せてもらえるようになると考え直し(認知の修正)
Aさんはすっかりやる気を失い、仕事も手につかなくなりました(行動)
→Aさんは今与えられている仕事に一生懸命取り組みました(行動の修正)
このような考え方の変化により、落ち込むという感情や、胃が痛いという身体的反応が軽減される、すなわち、認知や行動を修正することで、感情や身体もコントロールすることができるようになります。さらに、例えば、認知と感情を分けて考えるとうまくいくことがあります。何故なら、直接感情は変えられませんが、認知は変えていけるからです。劇的な感情変化があったときでも、認知の修正により心を整理することが可能になるのです。
どういう場面で問題が起きるか?どんな気分になるか?その気分の強さは何%くらいか?ストレスの元となっているものは何か?などを整理し、ストレスについて整理します
認知の中には、何かの出来事があった時に、ふと瞬間的に浮かぶ考えやイメージがあります。それを「自動思考」と呼びます。自動思考が生まれると、それに伴って、気持ちが動いたり行動を起こしたりしますが、これは、自動思考が感情や行動に影響を与えるということを意味します。
自動思考を現実的で柔軟な考え方に変えることで、その時々に感じていたストレスを軽減させることができるようになります。ストレスに対処できる心を育てるためには、自動思考に気づき、それに働きかけることが役立ちます。
認知の修正と同時に、行動の修正をすることで、問題解決、人間関係の改善が可能となってきます。様々な方法がありますが、場面ごとの行動方法をより適応したものにする努力をしていきます。
認知行動療法は、医師や心理士といった専門家と本人で進めていく治療法です。しかし、本人が考えていることはあくまで自分にしか分からないので、本人が素直に自分の考えている事を話さない限り、考え方の修正はできません。もしくは、本人自身が自分の考えや感情に気付いていないと、話す内容が本当にその人の認知なのか分からないため、スムーズに治療が進まないことになります。
したがって大切なのは、本人は自分の考え、思っていることを正確に伝えること、また、医療側は本人の性格や考え方のパターン、癖などもきちんと見極めることだと言われています。すなわち、お互いがしっかりとした信頼関係を結んでおかないと正しい情報が得られず、治療自体がうまくいかないとうことです。
さらに、体調にはリズムがあり、良いときもあれば悪いときも来ます。本人の体調が悪いときに無理に行うと症状が悪化することもあります。認知行動療法を行う側、受ける側ともに、焦らず治療を進めていくことが早期回復のカギになると言われています。
Aさんは仕事でちょっとしたミスをしてしまいました。Aさんは「自分は本当に駄目な人間だ」と考え(認知)、落ち込んでしまいました(感情)。Aさんはミスを上司に報告し、謝罪しました(行動)。「上司にダメな部下だと判断されてしまった」とAさんは思いました(認知)。上司は、「こんな簡単なミスをするなんてどうしたんだ」とAさんを注意しました。Aさんは、上司に「ミスをするので大きな仕事は任せない」と言われることを想像し(認知)、ひどく落ち込み(感情)、胃が痛くなりました(身体)。Aさんはやる気を失い、仕事も手につかなくなりました(行動)。